塩の日本史
シオノニホンシ

書名塩の日本史
書名ヨミシオノニホンシ
副書名塩業史に関するメモ
副書名ヨミエンギョウシニカンスルメモ
叢書名-
巻次等-
装丁206p,22cm
著者名廣山堯道‖著 広山堯道
著者名ヨミヒロヤマ ギョウドオウ
出版者等雄山閣
出版年199005
内容◇1 古 代
◇ 1 藻塩 製塩に海藻をどう使ったか
◇ 2 堅塩 はたして貧者の塩であったのか
◇ 3 塩山 権門・寺社は山林を占有して塩をえた
◇ 4 塩尻 略奪的製塩法
◇ 5 塩浜 塩浜は何時どうのようにしてできたか
◇ 6 塩ごし 鹹砂の塩分をどのように溶出したか
◇ 7 塩談1 塩で見付つかった平家の落人
◇ 8 煎塩鉄釜 土器による焼塩から鉄釜による焼塩へ
◇ 9 投木〔なげきこりつむとは〕薪の山
◇ 10 汲潮浜 平安時代の揚浜系塩田の発掘調査
◇ 11 古代の塩生産で著名なところは
◇ 12 古代において塩はどのように流通し消費されたか
◇ 13 塩談2 潮汲車
◇2 中 世
◇ 14 中世の塩浜と塩生産者の実態はどうであったか
◇ 15 瀬戸内の何処で塩が作られたか
◇ 16 塩の荘園弓削島 汲潮浜
◇ 17 若狭湾岸の製塩 自然揚浜
◇ 18 塩談3 恩を売って塩を売る
◇ 19 伊勢神宮の塩浜 古式入浜の出現
◇ 20 南伊勢の竈方集落の製塩
◇ 21 塩焼の物語「文正草紙」
◇ 22 塩竈神社の御釜は煎塩鉄釜か
◇ 23 「兵庫北関入船納帳」にみられる塩
◇ 24 塩談4 ルイス・フロイスのみた塩釜
◇ 25 京都の塩は何処からどう入ったか
◇ 26 興福寺の塩座 中世の塩流通機構
◇ 27 戦国大名はどのように塩政策を行ったか
◇ 28 安土築城ころから塩価が安くなる
◇3 近 世
◇ 29 近世にはすべての製塩法が出揃う
◇ 30 三陸海岸では海水を直接煮つめた
◇ 31 南九州や南西諸島には中世以前の方法が残っていた
◇ 32 日本海岸では自然揚浜法が一般的であった
◇ 33 太平洋岸の海湾内では古式入浜法が行われた
◇ 34 能登では岩石浜に塗浜(置浜)を作った
◇ 35 塩談5 鯛の浜むし
◇ 36 東北では山奥でも塩を作った
◇ 37 製塩にはどのような鉄釜を用いられたか
◇ 38 鉄釜以外の塩釜にどのような釜があったか
◇ 39 塩談6 山窩の塩凝(しおこり)
◇ 40 入浜塩田は何時・何処でできたか
◇ 41 入浜塩田はどのように干拓・造成されたか
◇ 42 瀬戸内十州塩田はどのように発展したか
◇ 43 入浜塩田ではどのような作業が行われたか
◇ 44 入浜塩田は賃金労働を使った
◇ 45 塩談7 元禄赤穂事件と塩
◇ 46 松葉焚石釜による煎熬
◇ 47 石炭を最初に使った産業は製塩業である
◇ 48 入浜塩田の経営はどのくらいもうかったか
◇ 49 入浜塩田の地主・小作制はどのように展開したか
◇ 50 塩田地主と小作の性格
◇ 51 備前野崎塩田の当作歩方制
◇ 52 塩談8 盛り塩と撒き塩
◇ 53 入浜塩田 100町歩地主の経営
◇ 54 瀬戸内十州塩はどこへ移出されたか
◇ 55 赤穂から見た大坂の塩市場
◇ 56 江戸下り塩問屋の取引慣習
◇ 57 塩談9 塩の値段
◇ 58 江戸行きの塩船はどれほど利益をあげたか
◇ 59 瀬戸内塩業は近世に操短(休浜)同盟を結んでいた
◇ 60 操短同盟(休浜)の理論書「塩製秘録」
◇ 61 諸藩の塩専売(国産仕法)
◇ 62 江戸湾に塩田二千町歩の干拓を夢みた男
◇ 63 枝条架濃縮法は既に幕末に導入されていた
◇ 64 塩談10 花の絵島の塩漬け骸(むくろ)
◇ 65 近世末期における塩の消費
◇ 66 塩俵と目減り
◇ 67 塩業立地の集落は飢饉に強かった
◇4 近 代
◇ 68 明治維新は塩業にどのような影響を与えたか
◇ 69 塩田の地租改正は田畑の場合とどう違ったか
◇ 70 明治期に製塩技術は進歩したか
◇ 71 塩談11 塩に人生をかけた男
◇ 72 地主=問屋制経営形態はどのように形勢されたか
◇ 73 十州同盟は明治23年まで続いた
◇ 74 塩専売制実施とその賛否
◇ 75 施行当初の塩専売制度
◇ 76 塩専売制度の改変
◇ 77 塩談11 鳶が舞ったら塩屋がもうかる
◇ 78 煎熬部門の産業革命 真空蒸発缶法の採用
◇ 79 採鹹部門の産業革命 流下式塩田への転換
◇ 80 現代の製塩 イオン交換膜法
棚番号D11
請求記号669--SN
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